多摩川を目指す


等々力渓谷を行く
谷沢川沿いにしばらく進むと道の右手に小さな公園がある。写真は多摩川側から今来た道を撮影しているので左右が逆に見える。

等々力渓谷を行く
この公園が等々力渓谷公園のほとんど南端となる。ここを抜けると開けてしまいしばらく歩けば多摩川に到達する。

等々力渓谷を行く
公園からすぐに一般住宅に付き当たる。ここで等々力渓谷公園も終わりになる。矢川橋を渡って左岸に渡る。

等々力渓谷を行く
矢川橋上から下流を見る。右手はずっと一般住宅なので、これから下流の橋は一般住宅に渡るための個人的な橋になる。

等々力渓谷を行く
少し進むと道の左手が膨らんで足を止められるようになっていて、愛染桜と名づけられた桜が保存されていた。 少し遠いのだが立派な桜の木が見える。冬の日では枝しか見えないが花見の特等席に住む住民の家がやたら目立つ。


愛染桜(アイゼンザクラ)

等々力渓谷を行く
種類 オオシマザクラ
この桜は昭和四十二年、溝呂木家の庭先に実生で発見されました。以来、当家に於て家宝のように大切に育てられ、わずか三十年で幹回り1.7米、枝は十米四方にもひろがるというめざましい成長を遂げました。
そして、毎年白色の美しい花を咲かせ道行く人々を楽しませるとともに、平成元年には世田谷区の保存樹として、指定されるまでになりました。
しかし、桜の末永い生命を幸を願って世田谷区への寄付を決意し、生育環境の整ったこの地に移植することとなりました。
尚、愛染桜の愛称は八大明王として名高い不動明王と並ぶ愛染明王に因んで名付けられました。
追記
桜の育ての親である溝呂木友紹は移植の完成を待たず、平成七年秋、桜に想いを残しつつこの世を去りました。
われの身は はかなき露と 消ゆるらむ
永久(とわ)に咲きつづけ この桜木よ
平成八年三月 寄付 溝呂木家


等々力渓谷を行く
となりの一般住宅の入り口に愛染桜移転のお知らせがあった。桜移転の距離は数メートルから十数メートル程であったようだ。

昭和10年代の等々力渓谷 昭和30年代のゴルフ橋

等々力渓谷を行く
写真提供:等々力渓谷保存会 大平喜重会長 長沼雄太氏
等々力渓谷公園案内板より


等々力渓谷の湧水

等々力渓谷を行く
平成14年夏に、等々力渓谷の湧水状況を調査したところ、湧水地は33箇所ありました。湧水のほとんどは園路を横断して谷沢川に流れ込んでいますが、一部の湧水は一旦窪地に溜まって湿地になっています。
また、谷沢川の水質はゴルフ橋から下流に行くにしたがって改善されています。このことから、等々力渓谷の湧水が谷沢川の流量増加と水質浄化につながっています。
等々力渓谷公園内の案内板より



等々力渓谷の歴史

等々力渓谷を行く
等々力渓谷公園内の案内板より

等々力渓谷を行く
谷沢川もいよいよ渓谷らしさを失ってきたようだ。