逆に来てしまったが、利剣の橋が見えてきた。そして手前にある案内板は稚児大師御影堂の詳しい案内板であった。
等々力不動尊側から渓谷に入ると先にこの案内板が目に入るはずだ。
左手の小さい方は等々力渓谷の解説板でゴルフ橋付近の公園内に設置されていたものと同一のものなので省略する。
稚児大師
弘法大師の尾小さいときを稚児大師さまといいます
弘法大師は 歴史のページが 奈良時代から 平安時代へと 大きく開かれようとした宝亀五年(1774)に讃岐(さぬき)の国(今の香川県)にお生まれになりました。
弘法大師は その頃世界の国際都市の長安(中国の西安)に行って 真言の教えを伝え 日本に弘められました。
その教えは すべての人々の生命の中に み佛(ほとけ)の尊い生命(おいのち)が具っているので その生命に目覚めるとき 豊かな心で 力強く生き そのことで まわりの人をも 仕合せにするという教えです。
ですから お大師さまは 文化の面でも 学芸 教育 文学 書道 絵画 彫刻 工芸 建築 治水と あらゆる分野で活躍されました 四国の満濃池(まんのういけ)は 相模湖ぐらいの 人口湖です これをダムの工法として最も優れたアーチ式ダムで満々とした水をたたえ 人々の暮しに役立てました
教育では その頃 貴族のための大学しかなかったのを日本で始めて庶民のための大学を造られました これが綜芸種智院です 綜合的に幅広く学んで 知識としてではなく本当の智恵を自分のものとすつことを目指したのです こうして人々の幸せのために尽くされた弘法大師は あらゆる面での日本文化の恩人として お大師さまと仰がれ お大師さまとして慕われているのです
昭和五十年(1975)は 弘法大師のご誕生の千二百年でした そこで お大師さまのご幼少のお姿 可愛らしい両手を 合せていらっしゃるところを 清水多嘉示先生(芸術院会員)にお願いして おつくりしました。
お大師さまは 幼いときの子供達との遊びにも 小枝や草で小さな御堂をつくり 屋根を葺き 土でみ仏をこしらえて手を合わされたと言われ 夢の中では 逆の台にのって み仏さまと物語ましたということです
お手さまたちが 稚児大師さまと同じように手を合わせ そのみ教の通り やがて その心に宿る尊い生命を 美しく花開かせて 光り輝くことを 祈ります
平成八年 六月 十五日
満願寺
貫首 龍文 合掌
貫首 龍文 合掌
りけんのはしのプレートが付いた利剣の橋。橋を渡ると最大の見所、等々力不動尊の本堂方面に向かうことになる。