足利学校8


庠主(学長)の墓所

渡良瀬橋
足利学校は十五世紀の中頃、関東管領上杉安房守藤原憲実によって中興されたものであるが、上杉憲実は書籍や学領を寄進し、学規を制定すると供に、鎌倉円覚寺の僧快元を招き、足利学校中興初代の庠主とした。

庠主は、明治二年に足利学校が藩校になるまでの約四百三十年間にわたり、二十三代まで続いた。
歴代庠主は、学校の維持管理に苦心しながらも、日本文化史上、学校の名声を高からしめた功績は大きい。
庠主の墓は総計十七基あり、いずれも無縫塔で、そのうち八基には文字が刻まれているが、残りの九基は不明である。
判明している基は次のとおり。

世代 名 出身地 在籍期間 右から
第十四代 久室(きゅうしつ) 下野足利 三十六年(十番目)
第一五代 天叔(てんしゅく) 京 十五年(六番目)
第十六代 月江(げっこう) 武蔵八王子 三十一年(十二番目)
第十七代 千渓(せんけい) 下野足利 三十三年(十四番目)
第十八代 青郊(せいこう) 武蔵八王子 十八年(二番目)
第十九代 実巌(じつがん) 周防 十九年(三番目)
第二十一代 太嶺(たいれい) 越後 二十一年(九番目)
第二十二代 松齢(しょうれい) 美濃 十五年(四番目)

(宝暦年間の姿に復原)
庠主(学長)の墓所の解説板より


元足利学校代官 茂木家累代の墓

渡良瀬橋
庠主(学長)の墓所の隣に元足利学校代官 茂木家累代の墓もあった。

収蔵庫

渡良瀬橋
足利学校に伝わる典籍のうち、国宝などを格納しておく建物で、現在、二千点を収蔵しています。

完成 昭和四十二年一月
収蔵庫の解説板より


旧足利学校遺蹟図書館

渡良瀬橋
足利市重要文化財
旧足利学校遺蹟図書館
(付属施設を含む)付 新築竣工図

この建物は、大正四年八月に建設されたもので、屋根は入母屋造桟瓦葺で、基礎及び外壁はレンガ積みをした上にそれぞれ石材や漆喰で仕上げてあります。
和風の屋根、洋風の外壁・内装など和様折衷の様式やポーチの懸魚(げぎょ)・蟇股(かえるまた)・格天井(ごうてんじょう)などの造りや、飾り瓦(水煙)などに意匠的特徴の見られる大正時代の建造物として貴重な存在です。
足利学校保全事業の一環として平成六年度県の「輝くまちづくり事業」により屋根を中心に改修しました。
足利市重要文化財(建造物)
平成六年三月二十二日指定
平成八年二月一日 
(財)足利市民文化財団
足利市教育委員会
旧足利学校遺蹟図書館の解説板のより


ナンバンハゼ

渡良瀬橋
栃木県指定 天然記念物 ナンバンハゼ (楷樹)一本

この木は日本、特に東日本には自生しない珍しい木であり、別称「孔子の木」「楷」「トネリバハゼノキ」などがあるが、学名を「ピスタシア・シネンシズ」といってウルシ科に属する落葉樹である。
現在目通りの太さ二・五メートル、雌木だけであるから花は咲くが実は結ばない。
寄贈者 白澤保美 林学博士
年月日 大正十一年三月七日
昭和三十一年六月十五日 栃木県指定
足利市教育委員会
ナンバンハゼの解説板より

図書館玄関の横にあるナンバンハゼを最後に見学し足利学校を後にした。