足利学校3


大成殿

渡良瀬橋
寛文八年(1668)に建てられた大成殿。内部の正面中央に孔子像、右に小野篁(おののたかむら)像がある。

孔子坐像(こうしざぞう)

渡良瀬橋
県指定文化財 木像 孔子坐像(こうしざぞう)
寄木造(よせぎづくり) 玉眼嵌入(ぎょくがんかんにゅう)
室町時代 天文四年(1535)

頭巾をかぶり、儒服(じゅふく)を着けた像です。弟子たちの教育にあたるこの姿は「行教像」といわれます。像の背中と底の内部の内側の部分に墨書きの文字があり、当時の足利荘の代官長尾憲長など造像に関わった人の名や、当時の学校の様子が記されています。
日本最古の孔子の彫像として、また、足利学校の歴史を語る資料としてたいへん貴重です。
孔子坐像解説板より


像の右に「復聖顔子 神位」 左に「宗聖曽子 神位」と記してある。

小野篁(おののたかむら)像

渡良瀬橋
市指定文化財 木像 小野篁(おののたかむら)像
寄木造(よせぎづくり) 玉眼嵌入(ぎょくがんかんにゅう)
江戸時代中期 延享三年(1746)

小野篁(802~852)は、平安時代の公家・歌人で学問にすぐれ、野相公とよばれた人です。足利学校では江戸時代に、小野篁を創健者とする切がとられていました。
本像の制作にあたり、小野篁の子孫という江戸時代の儒官人見活(号雪江)(1687~1759)が、金一封を学校に寄進したことが『足利学校記録』 (延享三年【1746】八月一九日条)に記されています。
小野篁解説板より


孔子廟には不断梅の他、明治期の海軍幹部による手植えの月桂樹が3本植えられている。

西階の不断梅
渡良瀬橋
樹齢100年を超える不断梅。名前の由来は梅が熟さないために青い実のまま黒くなり冬まで実が落ちないことからだという。

海軍大将 東郷平八郎手植 明治39年12月23日 月桂樹
渡良瀬橋


元帥 海軍大将 伊東祐亨手植 明治39年12月23日 月桂樹
渡良瀬橋

海軍中将 上村産之丞手植 明治39年12月23日 月桂樹
渡良瀬橋
時は経っているのに、月桂樹の木はあまり大きくないなというのが印象です。大きくならないようにしているのかも知れない。