小野篁(おののたかむら)像
市指定文化財 木像 小野篁(おののたかむら)像
寄木造(よせぎづくり) 玉眼嵌入(ぎょくがんかんにゅう)
江戸時代中期 延享三年(1746)
小野篁(802~852)は、平安時代の公家・歌人で学問にすぐれ、野相公とよばれた人です。足利学校では江戸時代に、小野篁を創健者とする切がとられていました。
本像の制作にあたり、小野篁の子孫という江戸時代の儒官人見活(号雪江)(1687~1759)が、金一封を学校に寄進したことが『足利学校記録』 (延享三年【1746】八月一九日条)に記されています。
小野篁解説板より
孔子廟には不断梅の他、明治期の海軍幹部による手植えの月桂樹が3本植えられている。
西階の不断梅
樹齢100年を超える不断梅。名前の由来は梅が熟さないために青い実のまま黒くなり冬まで実が落ちないことからだという。
海軍大将 東郷平八郎手植 明治39年12月23日 月桂樹
元帥 海軍大将 伊東祐亨手植 明治39年12月23日 月桂樹
海軍中将 上村産之丞手植 明治39年12月23日 月桂樹
時は経っているのに、月桂樹の木はあまり大きくないなというのが印象です。大きくならないようにしているのかも知れない。