足利学校6


裏門

渡良瀬橋
学校の裏門というと何かありそうだが、学生や一般の人の通用門として使われていた門。足利学校内部側から裏門を見る。

裏門

渡良瀬橋

足利学校の門は、位置や名称が江戸時代に入って何回か変わっているようです。正門は、学校門で、江戸中期に中門と呼ばれていました、主に、日常使う門が、この裏門でした。
学校の裏に位置しないにもかかわらず、この門がなぜ裏門と呼ばれたか明らかにではありません。
間口八尺の薬医門で、屋根が切妻造の茅葺です。両脇に目板瓦葺の屋根をかけた袖塀が付いています。
発掘調査によって、砂利敷きの通路が門から主屋の玄関や脇玄関へと伸びている様子がわかりました。

(宝暦年間の姿に復原)
裏門の解説板より


渡良瀬橋
ちなみに、こちらは外側から見た裏門。柵があって砂利にも足を入れることが出来なかった。

サエンバ(菜園場)

渡良瀬橋


サエンバ(菜園場)

渡良瀬橋

絵図にサエンバとあるのは、「菜園場」のことと思われます。
ここでは、日々の食膳に必要な材料となる大根、ごぼうその他の野菜、栗や柿など果樹、茶や薬草を栽培し、ときには花なども楽しんだと思われます。
足利学校の学生は、僧籍に入り僧となりました。学生として学問に励むことは無論のこと、清掃、洗濯、野菜作りや料理など日常生活の全てが修行でした。

(江戸時代中期の姿に復原)
サエンバの解説板のより

上杉憲実公顕彰碑

渡良瀬橋
サエンバの傍に足利学校中興の祖関東管領 上杉憲実公顕彰碑があった。石はごく新しいもの。