足利学校7


衆寮

渡良瀬橋
主屋以外の建物を見て回ることにする。まず一番近くの衆寮を見学する事にする。衆寮は普段、学生達が書物を書き写したり生活した場所との事であったが、内部の様子は現在でいう幼稚園の机を並べたようで、前後の間隔も非常に狭かった。

衆寮

渡良瀬橋
衆寮は、僧房または学生寮です。学生が寄宿し、あるいは遠くから通う学生が寄宿し、あるいは遠くから通う学生が写本をするために泊まったと思われます。

桁行八間、梁間二間半、屋根は切妻造で板葺、外壁は上が土壁の漆喰仕上、下が板張です。内部は、六畳の間に、一間の土間がついて一部屋になり、それが四部屋続く長屋となっています。
発掘調査の結果、堀の中から多数の灯明皿(とうみょうざら)が出土していることから、夜の闇の中で灯明をともし、学問に励んだ様子をうかがうことができます。

(宝暦年間の姿に復原)
衆寮の解説板より


木小屋

渡良瀬橋
木小屋は物置で、煮炊きに使う燃料用の「木」などを格納する建物と言われています。
桁行五間、梁間二間、屋根は寄棟造の茅葺、外壁は上が土嚢の中塗仕上、下が板壁です。床は三和土(たたき)の土間です。

薪のほかには、日常使う用具や食料などもしまっておいたと思われます。
例えば、サエンバ(菜園場)と呼んでいた畑を耕す鍬や鋤、鎌などの農具、収穫した雑穀、漬物や味噌などの樽、修繕用の板材や大工道具などが考えられます。

(宝暦年間の姿に復原)
サエンバの解説板のより


渡良瀬橋木小屋を眺める。木小屋にモザイクなどを入れる必要などはないのだが、これ一枚だけピンボケ写真になってしまった。

土蔵

渡良瀬橋
木小屋と並んで土蔵がある。漆喰で仕上げがしてあるので、大切なものも格納出来たと思われる。


土蔵

渡良瀬橋
土蔵は、大切なものを格納する堅牢な大火建築として建てられました。

桁行三間、梁間二間の土蔵造です。外壁から屋根にかけて土で塗り固め、漆喰で仕上げています。栗板を使った切妻造の鞘屋根を載せています。内部は、壁が漆喰仕上、床が板敷となっています。
文庫が別に立てられていたところから、この土蔵には書籍以外で大切なものを納めていたと思われます。

(宝暦年間の姿に復原)
土蔵の解説板のより