反橋内部
反橋の内部。立派な屋根が付いている。千社札が天井に沢山貼ってあった。
史跡 足利氏宅跡
と記された石標が橋の横に立っている。
反橋と楼門
横から見た反橋(そりはし)と右は楼門(ろうもん)。下の濠には多くの鯉や小魚らが泳いでいた。水は意外なほど澄んで、魚の動きも簡単に追うことが出来た。
鑁阿寺(ばんなじ)の地図が掲示してあった。アバウトなように見えるが、歩き回ってみると非常に精巧な地図であることがわかった。
楼門と反橋を解説した建て看板があった。
楼門(ろうもん) 及び反橋(そりはし)
楼門は当山では仁王門又は山門ともいう。
開基足利利義兼公が建久七年(1,196年)創建せるも室町時代兵火にあり永禄七年(1,564年)足利幕府13代将軍足利義輝の再建である。
構造雄大、手法剛健、入母屋造、行基葺き。両側の仁王尊像は此の建物より古く鎌倉時代運慶の作といわれている。
反橋は俗に太鼓橋といい江戸時代安政年間の再修である。
当山境内は面積1万2300坪(40,467平方メートル)四周に濠と土塁をめぐらし四門あり。
当山開祖足利義兼公の祖父源義国(八幡太郎 源義家の子、足利・新田両家の祖)が別業として平安時代末に構築せるものにして上古の豪族の居館を原形のまま今日に残したもの。実に近世城郭の原始を示しており、足利氏宅跡として大正11年国が史跡に指定した。
楼門 及び反橋は栃木県指定文化財である。
真言宗 大本山 金剛山 鑁阿寺
鑁阿寺の案内板より