御手水舎
手水舎は明治時代に造られたもの。「千社札貼付固くお断りします」の文字が柱に貼ってあった。反橋のように張られてはたまらないという事なのだろう。
御手水舎で両手と口をすすいだ後、多宝塔を訪れた。多宝塔とは一般的に下部分が四角形で裳階の平面部分が円形の二重建造物をいう。裳階(もこし)があるので二階に見えるが、単層の建造物。多宝塔としては日本最大なのだそうだ。
多宝塔(搭婆)
開祖足利義兼公創建と伝えられているが現在のは 元禄五年 徳川五代将軍綱吉の母、桂昌院尼公の再建と伝えられていたが、相輪の宝珠を調査したところ、寛永六年(1,629)銘のものが発見され搭の再建年代がさかのぼる事が判明した。
徳川氏は新田氏の後裔と称し、新田氏は足利の庄より新田の庄に分家したるが故に徳川氏は祖先発祥の地なるを以て、此の宝塔を 祖先の菩提供養のため再建寄進した。
○本尊は 金剛界大日如来
本尊前に勢至菩薩(俗に二十三夜尊)
両側に十六羅漢像を祀る。
○奥に足利家の大位牌と徳川歴代将軍のお位牌を祀る。
○多宝塔としては我国で一番大きい。
(これ以上大きいのは大塔という。)
平成七、八年半解体修理を実施した。
真言宗 金剛山 鑁阿寺
鑁阿寺の多宝塔(搭婆)案内板より
大銀杏(おおいちょう)
鑁阿寺の境内にある大銀杏。一時期よりはかなり弱っているらしいが、現在でも見上げるばかりの高さと広がりを持つ。写真は小さくなっているが、実際にご覧になればその雄姿に納得されるはずだ。
大銀杏(おおいちょう)
開祖足利義兼の御手植えと称しているが鎌倉時代末期正和年間(1,310年)の当山の古地図には載っていない。
故三好学博士の鑑定によれば樹令五百五十年といわれる。江戸時代には既に大木となり樹下に於て大日如来のお堂を前にして青年男女の見合いが行われ、縁結びの御神木ともいわれている。
目通りの周囲九米。高さ約三十米。往古より避雷針の役目を果し、諸堂の災厄を守護した。
最近、樹勢とみに衰え衆庶の愛護を切に望む。
真言宗 金剛山 鑁阿寺
鑁阿寺の大銀杏(おおいちょう)案内板より