鑁阿寺(ばんなじ)5


渡良瀬橋
いよいよ、重要文化財 鑁阿寺(ばんなじ)の本堂の正面にで出る。真言宗大日派の本山らしい立派な構えである。

鑁阿寺(ばんなじ)本堂


重要文化財
鑁阿寺本堂(大御堂)

鎌倉時代初期、建久七年(1,196年)足利義兼の建立。
本尊は源氏相伝の守本尊、大日如来。
建築は構造雄大、手法剛健、本瓦葺
唐様と和様を加味した折衷の代表的な建物で堂内の柱、天井、厨子等の価値は高い。
明治四十一年 国宝に指定され昭和八年より二年間、解体修理を文部省の指導の下 実施した。
戦後、法令の改正により重要文化財の指定を受く。
境内に山門、鐘楼、不動堂、一切経堂、多宝塔、御霊殿等の七堂伽藍を備えた東国の 密教の代表的な寺である。
創建以来、幸い火災にあわず多数の重要文化財を蔵している。
開祖、義兼七世の孫は足利尊氏にして京都室町に幕府を構え、幕府は一五代二百三十年つづいた。
大祭は五月三、四、五日、十一月三、四日
初詣、節分鎧年越等 厄除・開運の祈願寺として参拝者が多い。

真言宗大本山 金剛山 鑁阿寺
鑁阿寺本堂の案内板より


賓頭慮尊者(びんずるそんじゃ)

渡良瀬橋
本堂の右手におびんずる様の像があった。遠くからでもよく目立ち、何か、にらまれている様で少し気味が悪かった。近寄ってみると、体部分は衣服で隠れて判らなかったが顔は木製の像であった。窓に書かれた、「開けたら閉めてください」 の張り紙があったが、最初から全開に開けてあったので閉める必要は無かった。天気が良かったので、「おびんずる」様も風を通したかったのであろう。

賓頭慮尊者(びんずるそんじゃ)


此のお像は、賓頭慮尊者(ビンズルソンジャ)です。通称「おびんずる」様といい、皆さんの足越・頭・身体の悪い所を信心を受けて、直してくれる佛さまです。
金剛山
鑁阿寺の「おびんずる」様解説より


鑁阿寺年間行事


真言宗 金剛山 鑁阿寺年間行事

  大祭 五月三、四、五日、 大法要 十一月三、四日 大法要
  小祭 毎月二十八日正午 大日尊御縁日お護摩

一、大御堂(御本尊 大日如来)
  元日、二日、三日  初詣新年大護摩
  一月四日、五日  厄除大護摩
  一月十五日 成人祝祷祈願
  二月三日 節分鎧行列
  三月二十一日 彼岸会
  四月八日 花まつり
  五月十八日 観音功徳日観音経一千巻読誦会
  八月十五日 お盆
  九月二十三日 彼岸会
  十一月三日、四日 大日尊秋の大祭
  十一月中  七、五、三祝祷会
  十二月三十一日 除夜の鐘つき初護摩
二、中御堂(御本尊、不動明王)毎年二十八日正午御縁日
三、多宝塔(御本尊、勢至菩薩)午年守本尊
  毎月二十三日御縁日(二十三夜尊祭)
四、稲荷堂(出世稲荷大祭 四月第一日曜日)
  ●大黒堂(大黒天)七福神巡り元旦~節分迄
  ●蛭子堂(安産の守護神)
五、毎月一日、十五日及び日曜 大護摩修行
六、毎朝七時般若心経観音経を読誦(洗心朝拝会)
  会員になりたい方はお申し出下さい。
七、初参り、厄除、交通安全等のほ祈願を臨時にされる方は受付迄
  お申し出下さい。(大御堂礼場)
八、国宝重要文化財等の宝物拝観を希望される方はあらかじめ前以って
  書院(庫裡)へ人数日時等をお申し出下さい。
九、建造物の説明も書院へお申込下さい。
鑁阿寺の案内板より


本堂の後方の先が北門になる。鑁阿寺は東西南北の綺麗な正方形の敷地で四方に東西南北の門がある。門の左部分に朝9時に開門、午後4時に閉門、とある。また、信心の無い単なる観光客の来場も張り紙で断っている。

北門(薬医門)

渡良瀬橋
北門(薬医門やくいもん)
当山開祖、足利義兼の子、足利義氏は父の建てた鑁阿寺維持の為、堀の外に十二の支院(塔中十二坊)を鎌倉時代に建て、その筆頭(塔頭)を千手院とした。
此の門は千手院(現在の足利幼稚園)の門で弘化二年 卅九世学頭来昌上人の再建である。
明治四年千手院を除いて塔中十一支院を明治政府に上地後、大正七年四十二世学頭忍空上人は此の池に此の門を移建した。
薬医門としては、規模雄大にして、典型的な江戸末期の形式を有している。
昭和六十二年 足利市重要文化財の指定を受く。

真言宗 金剛山 鑁阿寺
北門前の解説板より

中御堂(不動堂)

渡良瀬橋
中御堂。おふどうさまと柱に張り紙がある。七堂伽藍の一つであるが不動堂が国宝に指定される前は、となりの本堂と不動堂は廊下でつながっていたとある。


中御堂(不動堂)


寺伝では開祖足利義兼公の創建とあるが、文禄元年(1,592年)生実御所国朝の再修になる。
御本尊不動明王は往古千葉県成田山より勧請せるもので興教大師の作といわれ霊験あらたかな不動明王である。
本堂が明治四十一年国宝に指定される迄は不動堂と廊下でつながっていて四度加行(しどけぎょう)の護摩法の道場として使用した堂宇である。
昭和四十四年信徒の浄財により半解体修理を実施した。
商売繁盛を祈念する堂であると同時に酉年守本尊なり。
堂の右側に古井戸の跡あり八百年前足利氏が居住した時に使用したといわれる。

真言宗 大本山 鑁阿寺
中御堂の案内板より