鑁阿寺(ばんなじ)7


次に宝物がしまってあるという校倉(あぜくら)に行く。床を高くした校倉風の造りで、当然ながら扉はしっかりと閉じられていた。

市指定重文 校倉

渡良瀬橋
市指定重文 校倉
宝庫、大黒堂とも称する。
永享四年公文所奉行の再建をいわれているが現存の棟札では当山卅二世満慶上人が宝暦二年の再修となる。
建築様式は校倉風(あぜくらふう)で元来当山の宝物を収蔵した。
四十二世忍空上人の時、宝物は他へ移して足利家伝来の大黒天を祀った。
昭和五十五年 市の助成を得て元文部技官安田昭二に依り半解体修理を実施した。

真言宗 金剛山 鑁阿寺
大黒堂の案内板より


渡良瀬橋
校倉の前には、消えかかってはいるが「大黒天」と書かれた立て看板が立っている。

渡良瀬橋
大黒天のすぐ隣には「庚申」と刻まれた無数の石を前面に持つ分福観音がある。これだけの石がそろうと庚申信仰パワーも全開で、こちらにも福を分けて頂ける気がした。観音像や庚申塚はごく新しいものに見えた。

最後に蛭子堂を訪れると堂の前面には、安産のお礼であろうか、無数の赤子の前垂れが架けてあった。

足利市重要文化財 蛭子堂(ひるこどう)

渡良瀬橋
足利市重要文化財 蛭子堂(ひるこどう)
時姫堂とも称し、当山開祖 足利義兼の妻、北条時子(源頼朝の妻北条政子の妹)を祀り、時子の法名から智願寺殿ともいう。創建年代は不詳
時子姫は寺伝では自害したといわれ、これにまつわる逆さ藤天神足利又太郎忠綱の遁走、自刃の哀話は足利七不思議の伝説の中の白眉の物語りとして残っている。
妊娠の女人、此の堂にお詣りすれば栗のいがより栗が軽くもげるが如く安らかに安産のききめありといわれ、昔から信仰されている。
本尊は栗のいがを手に持つ蛭子女尊。
平成五年 栃木県と足利市より補助を受けてお堂の解体修理を実施した。

金剛山 鑁阿寺
蛭子堂の解説板より


最後に小さな稲荷堂を訪れた。
渡良瀬橋
本堂の裏手に小さな稲荷堂がある。赤い小さな複数の鳥居を抜けると稲荷堂がある。

渡良瀬橋
左右の阿吽の狐像と石の鳥居をぬけて稲荷堂の前へ進む。


渡良瀬橋
稲荷堂の中をのぞいてみると左右に狐様が沢山おられた。

渡良瀬橋
稲荷堂の側壁にも稲荷堂に入りきらない狐様が無数に鎮座されていた。この稲荷堂を最後に鑁阿寺を後にすることにした。歴史の時間の大切さを知るとともに、未来への歴史を作らなければいけない今の大切さも感じた。わざわざ文字にしなくても、信心の無い観光客は、はじき飛ばされてしまいそうな、本物の迫力に圧倒される訪問だった。