鑁阿寺(ばんなじ)2


反橋を渡るとすぐに立派な山門(仁王門)がある。

鑁阿寺(ばんなじ)仁王門

渡良瀬橋
鑁阿寺(ばんなじ)の敷地は東西南北に正方形の綺麗な形をしている。南側正面から寺に入るには、堀を渡る屋根つきの反橋を渡り山門を入る。金剛山という額が山門に掲げられていた。

渡良瀬橋渡良瀬橋
反橋を渡った山門の左手に庚申塔が二つ置いてあった。

山門のワラゾウリ

渡良瀬橋
山門にはワラゾウリがくくられている。霊場めぐりの方々の置き土産であろうか。
山門の左右には阿吽一対の仁王様がいらっしゃるのだが、網に守られて上手く撮影出来なかった。次回機会があれば是非写したい。

山門に掲げられた関東八十八ヶ所霊場の看板

渡良瀬橋
関東八十八ヶ所霊場 第一六番 金剛山 と書かれた看板が山門に掲げられている。

渡良瀬橋
山門越しに鑁阿寺(ばんなじ)の本堂を眺める。この山門(仁王門)が鑁阿寺の正面になる。

金剛山鑁阿寺伽藍図(こんごうざんばんなじがらんず)

渡良瀬橋

境内地


1. 平安時代後期、源氏の祖、八幡太郎源義家の子義国、その子足利義康(足利氏祖)の2代にわたって堀と土手を築いて邸宅としました。
2. 境内地(お堀の中全域と土手及び外側の堀のまわりの歩道全体)が足利氏宅跡として国の史跡に指定されている。(大正11年指定)
3.此の境内にお入りの方、必ず本堂をお詣り下さい。単なる観光寺院とは違いご信仰のお寺で由緒あるお寺です。

境内の建物


1.義康の子、足利義兼(尊氏より七代前)が、鎌倉時代初期(1,190年代)邸宅を撤去して大日如来を本尊とする真言宗金剛山鑁阿寺を設立しました。
2.各お堂の前に建物の説明板が出ておりますのでごらん下さい。
 (イ)鎌倉時代の建物
   本堂、鐘楼、東門、西門
 (ロ)室町時代の建物
   一切経堂、山門(仁王門)
 (ハ)江戸時代の建物
   二重塔(再建)、御霊屋(再建)、校倉(大黒堂)
   太鼓橋、蛭子堂、大酉堂、北門
 (ニ)明治時代の建物
   水屋、本坊(庫裡)、稲荷堂等

堀の外、十二坊跡地


義兼の子・義氏(尊氏より六代前)の代に七堂伽藍は完成し、堀の外に塔中十二坊が堀をかこむ様に建てられましたが、明治維新と共に塔頭・千手院(現、足利幼稚園敷地)を除いて、明治政府に上地させられ、今は家富町という民家になっております。(広さ約5万坪)


●昔から鑁阿寺というより「足利の大日さま」として人々からご信仰され親しまれているお寺です。
●寺の歴史を書いたパンフレット及び宝物の目録(カラーで解説付き)を記した冊子を希望される方は、本堂のお札場に申し出てください。(但し有料)
鑁阿寺の案内板より