岩井山城跡上り口
この階段を登っていくと城跡にはいる。
岩井山城跡(歓農城跡)
足利旧市街の南東、勧農山(いま岩井山)なる独立小丘の丘頂から麓部までを占め、東西約160、南北約200メートルに及ぶ。丘頂は平坦で本丸跡、周りを土累で囲み、南から東の緩斜面に階段状に二の丸、三の丸を設け、その北東の本丸跡北東隅の最高所は物見台跡であろう。北の尾根は一段下って郭となり、それより西は段階状の帯郭となっている。
西から南には南流する渡良瀬川がめぐり崖上に築かれたこの城は見晴も絶好で天険の城塞である。文正元年(1,466)足利長尾氏の初代景人が足利庄代官としてここに居城を構えた歴史的城跡である。
(昭和45年7月25日 足利市指定)
昭和63年12月
財団法人 足利市民文化財団
足利氏教育委員会
岩井山城跡入口の案内板より
階段を登って行くと廃墟があった。この先には赤城神社があるので、それと関連した建物であったのだろうが、今は屋根が落ちるのを待つばかりの荒れようである。岩井山は歴史的城跡だそうだが、遺跡の中の遺跡跡にもなりそうな風景である。
ふと、戸の前を見ると現在の住人のお食事の跡があった。水もちゃんと入れられているので世話をする人がいるようだ。会いたかったのだが、可愛い住人には当日会うことは出来なかった。