本堂、不動堂、経堂といった重要な堂の裏手に広い土の広場が開けている。不動堂の裏から北西側を眺めて見ると、4つの堂が見える。左手から御霊殿、大酉堂、大黒堂、蛭子堂である。そこで左の方から順番に訪れることにした。
まず最初に御霊屋に行って見る。中には入ることは出来なかったが赤御堂と呼ばれるとおり、色があせる前は赤かったのであろう門の朱色は確認が出来た。
県指定文化財 御霊屋
足利大権現と称し、俗に赤御堂とも云う
正和年間(1,312年~)の当山伽藍配置図にも境内西北に描かれている。
創建は鎌倉時代といわれるが、現在の建物は徳川十一代将軍家斉の寄進しよって再建された。
本殿に源氏の祖を祀り拝殿に県指定文化財 足利一五代将軍像を祀る。昭和三十二年境内整備のため以前の位置より北へ十二間後退させた。
本殿の裏に当山開基 足利義兼の父、義康 祖父、義国の墓あり。昭和五十七年、八年度 栃木県及び足利市の助成を得て(株)安田工務店に依頼して半解体修理を実施した。
真言宗 大本山 鑁阿寺
鑁阿寺の御霊屋横の解説板より
次にとなりの大酉堂に行き、赤御堂を見るとこちらの方が、その朱色を鮮やかに確認できた。大酉堂は地味な小さな堂だが商売繁盛、福の神なのでお礼を奉げた。小さな堂は気持ちも入りやすい。
大酉堂(おとり様)
此のお堂は元来、足利尊氏公を祀るお堂として 室町時代に建立された、
当山に残る 寛政二年 及び明治五年の伽藍配置図には 足利尊氏公霊屋と現在地に記載されている。
明治中期より 足利尊氏逆賊の皇国史観抬頭し 四十一世忍禅上人は 甲胃婆の尊氏公木像を 本坊に移し、当山伝来の大酉大権現を本尊とした。
大正六年四十二世忍空上人は 信徒の浄財を仰いで 堂宇の大修繕を実施す。
大酉大権現は俗におとり様といい、古来武神として、武門の信仰篤く、殊に東国では 近世より 商売繁盛、福の神として信仰されている。
昭和六十一年 解体修理を実施した。
金剛山 鑁阿寺
大酉堂の案内板より