織姫神社5


えんむすび広場の先には参道の中央階段をはさんで歴史の広場がある。
渡良瀬橋渡良瀬橋
歴史の広場への石標と石段。

歴史のひろば

渡良瀬橋
歴史の広場は上部を樹木に覆われ、恋人達のひそやかな会話にはこちらの方がふさわしい。

足利氏の略系

渡良瀬橋
足利氏の略系図を刻んだ石碑。源頼朝や足利尊氏、新田義貞など歴史上の人物達の名が刻まれている。

となりには足利と足利織物の歴史を刻んだ石碑が建っている。
渡良瀬橋

足利と足利織物の歴史


足利は中世(鎌倉・室町時代)に活躍した源氏系の足利氏の所領「足利荘」です。古代末には藤原秀郷系の足利氏も活躍しました、
足利尊氏は室町時代に京都に幕府を開き日本を治めました。幕府はまた「足利学校」を興隆に導きました。
古代の足利は格寺社の記録によれば、東大寺(奈良・平安時代)や伊勢宮(平安・鎌倉時代)へ織物を治めています。中世では『徒然草』216段に足利氏3代目左馬頭義氏が、鎌倉幕府執権北条時頼に毎年「染物」を贈ったとあります。糸を草木等で染め、織ったもので、量は「30反」、女性着「小袖」仕上げです。
中世後半では足利織物の生産量は、鎌倉の関東公方家、三河国の足利一族、京都の足利将軍家などの需要を背景に高まったでしょう。輸送手段は川・海を利用した水運で、利根水系には大きな水運業者もできました。
綿織物の発達は近世足利利藩時代で、糸つむぎ、染め・撚り、織り、仕上げの妙は、魅力的な「足利織」を産み、江戸中期には全国に知れわたりました。
近代には絹綿交織の発達を経、明治中期以降絹織物の生産が盛んとなり、世界に輸出されました。昭和戦前期、絹紡糸を入れた柄模様の素敵な「足利本銘仙」が日本中の女性を魅了しました。国登録有形文化財、織姫神社の社殿はこの時期(1937年)に建てられました。
足利織姫神社の石碑より

渡良瀬橋
歴史のひろばから中央石段にもどり、最後の石段を登りきると織姫神社の境内になる。