足利氏の略系
足利氏の略系図を刻んだ石碑。源頼朝や足利尊氏、新田義貞など歴史上の人物達の名が刻まれている。
となりには足利と足利織物の歴史を刻んだ石碑が建っている。
足利と足利織物の歴史
足利は中世(鎌倉・室町時代)に活躍した源氏系の足利氏の所領「足利荘」です。古代末には藤原秀郷系の足利氏も活躍しました、
足利尊氏は室町時代に京都に幕府を開き日本を治めました。幕府はまた「足利学校」を興隆に導きました。
古代の足利は格寺社の記録によれば、東大寺(奈良・平安時代)や伊勢宮(平安・鎌倉時代)へ織物を治めています。中世では『徒然草』216段に足利氏3代目左馬頭義氏が、鎌倉幕府執権北条時頼に毎年「染物」を贈ったとあります。糸を草木等で染め、織ったもので、量は「30反」、女性着「小袖」仕上げです。
中世後半では足利織物の生産量は、鎌倉の関東公方家、三河国の足利一族、京都の足利将軍家などの需要を背景に高まったでしょう。輸送手段は川・海を利用した水運で、利根水系には大きな水運業者もできました。
綿織物の発達は近世足利利藩時代で、糸つむぎ、染め・撚り、織り、仕上げの妙は、魅力的な「足利織」を産み、江戸中期には全国に知れわたりました。
近代には絹綿交織の発達を経、明治中期以降絹織物の生産が盛んとなり、世界に輸出されました。昭和戦前期、絹紡糸を入れた柄模様の素敵な「足利本銘仙」が日本中の女性を魅了しました。国登録有形文化財、織姫神社の社殿はこの時期(1937年)に建てられました。
足利織姫神社の石碑より
歴史のひろばから中央石段にもどり、最後の石段を登りきると織姫神社の境内になる。