織姫神社のある織姫公園には、時間が無くて行けなかったがハイキングコースが設けられている。
足利友愛義団の碑
足利友愛義団の碑を解説する金属プレート。碑そのものは後ろの岩に嵌め込まれているという。
足利友愛義団の碑
1891年(明治24年)12月26日、この地に建っていた「好養館」に、萩野萬太郎他4名が集い「友愛義団」結成の発起人会が開催され、翌92年1月6日、萩野萬太郎、磯部安次郎、木村初太郎等22名の青年実業家達により「足利友愛義団」が発足しました。
その後、原田定助、足利武千代、横田千之助らも入団して団員も100名を超えたため、1904年(明治37年)には「好養館」を譲り受け、活動の拠点にしました。
「足利友愛義団」は、「驚き交流と学び」を活動の主旨として、義援活動、社会教化(廃娼運動)、足利織物も振興、国際化に備え河合運吉・森田金之助両牧師の協力による英語教育の作興、また、岡島忠助、木村浅七、長谷川作七、川嶋長十郎による輸出織物の品質向上のための「五二会」足利支部結成等々・・・「足利友愛義団」の職業論理に基づいた、篤く広い視野の真摯な活動は、近代足利の発展、産業振興の大きな礎となりました。
2006年(平成18年)2月、足利商工会議所は「足利友愛義団」の萩野萬太郎が初代頭取を務めた足利銀行の元本店を購入し、「街おこし」の拠点として再生、「友愛会館」と命名し、末永く「足利友愛義団」の精神を継承し、足利経済の発展に寄与することを誓い合いました。
足利友愛義団の碑は石垣の上の岩に嵌め込まれています。
足利織姫神社の金属プレートより
足利織姫神社造営碑
足利友愛義団の碑の隣には足利織姫神社造営碑が建てられている。非常に巨大なもので大人2人分ほどの高さがあった。碑に書かれている言葉は古いものなので横に口語訳の説明板が立っている。
足利織姫神社造営碑 碑文
貴族院議員 伯爵 金子堅太郎
貴族院議員 徳富猪一郎
日本の国は、昔から神の国といわれています。万世一系の皇室があって世界に例のない国体です。そして日本独特の神社があります。神社は伊勢大神を始めとして、宮弊社、国弊社、府、県社、郷社、町、村社など格付けはさまざまですが、いずれも国民信仰の中心で、国体に即して国民生活と密接につながっています。
昔 天祖 天照大神(あまてらすおおみかみ)が高天原(たかまがはら)を治めていたころ、天御鉾命(あめのみほこのみこと)を神々の衣服を織る役職につかせ、天八千千姫命(あめのやちちひめのみこと)を織女に命じて衣服を織らせました。足利に鎮座する織姫神社が産業振興の守護として、天御鉾命・天八千千姫命の二柱の神をお祭りしてあるのはこのことに由来しているのです。このように織姫神社の根源は、遠く神代の時代までさかのぼり由緒は奥深いものがあります。
下野国(しもつけのくに)は、関東のだいじな所に位置し、文化は早くから開け、産業も大いに興り、織物の国として知られていました。なかでも足利は織物の生産地として平安朝のころは、絹織物を朝廷に献上するようになりました。このようなことは史実としてさまざまな形で伝えられています。依頼数百年、時代によって栄枯盛衰はありましたが、祭祀は絶えることなく続いていました。
明治維新、国運の隆昌と同時に産業もますます発達し、社殿を現在の地に移しました。しかし、明治13年11月、火災により社殿は一朝にして灰燼に帰してしまいました。そ
の後50年余り、有史の人々がたびたび再建を企てましたが成就しませんでした。たまたま、昭和8年皇太子殿下(現天皇陛下)の御降誕を記念として、産業振興を祈願し社殿の造営を決定しました。奉賛会を、組織し、浄財を募り、工事に着工しました。造営主任技師小林福太郎、工事担当小川清次郎を責任者として、昭和9年工を起し、昭和12年竣工しました。4年間の歳月をかけて完成しましたが、神域の拡張は一千余坪、その経費は総額15万円、規模は広荘、金碧燦然として旧時の面目を一新しました。
社殿は足利市の中央にあり、その他はさわやかな高台、背後には緑濃い松林の丘陵をめぐらせています。前方には渡良瀬川が容々として流れ、近くは秩父の連山を隔て、甲信の群山を霞がただよう彼方に臨むことができます。遠くは岳蓮(富士山) がひときわ高く青空にそびえ、絢爛たる眺望はみごとなものです。いわゆる朝日のきらめき、夕陰の情景、自然はさまざまに美しい変化を見せます。更にその上を願えば、春秋の大祭毎に多くの人々が集まり崇敬の念をいただいてくださること、それが市民振興の源となり、産業振興の活力ともなります。このことは太古より現在まで、現在より遠い将来まで変えることはありません。
奉賛会長 殿岡利助、建築委員長 原田政七、社掌(神主) 日下部幸俊 三君は、これを後世に伝えるために碑の建立を計画しました。そしてその碑文を書いて欲しいと私のもとに来られました。私はそれを快くお引き受けして、その由来をこの一文にまとめました。これを石に彫って後世の人たちに末永くつたえてください。
昭和16年5月6日 建石 足利 岩澤諒弌 書
足利織姫神社造営碑 碑文の口語訳板より