厚木宿


富士見町から旧渡船場

富士見町

大山・江の島・鎌倉詣で
旭町四丁目交差点から左の細い道に入り350mほど進むと
富士見町のバス停があります。
このあたりは富士山にかなり近くなりますので
ちょっと高台なら富士山は何時でも見れるでしょう。
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御獄神社

大山・江の島・鎌倉詣で
富士見町のバス停から250mほど進むと右手に御獄神社があります。
非常に小さいので見落とすかもしれません。

大山・江の島・鎌倉詣で
近づいて見ると鳥居の先に小さな社がありました。

大山・江の島・鎌倉詣で
ついでに穴の隙間から中を覗いてみると神様がおられました。
失礼いたしました。それでは。
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厚木市民斎場

大山・江の島・鎌倉詣で
御獄神社から500m程で道の左手に厚木市民斎場があります。
どんなに無茶苦茶やった人でも最後はここにお世話になるのです。
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三島神社

大山・江の島・鎌倉詣で
厚木市民斎場のすぐ隣りに三島神社があります。隣とは言ってもくるりと
回り込む形になります。石柱が2本立っている小道に入ります。

三島神社

三島神社は岡田村の鎮守、祭神は事代主神(ことしろぬしのかみ)である。岡田村は近世後期には上岡田・下岡田村の二村に分かれていたが、もとは一村であった(『新編相模風土記稿』)。戦時中に供出された鐘は、元禄4年(1691)村内の細野久左衛門が奉納したもので、雨乞い祈願のため伊豆国三島神社(静岡県三島市)を勧請(かんじょう)したという創建由緒が刻まれていた。例祭は4月第3日曜日(古くは9月29日)である。
境内には近隣に所在した石祀(せきし)が祀られている。

本殿 一間社流造(いっけんやしろながれづくり)で、桁行(けたゆき)5.4尺の大型社殿。17世紀末から18世紀初頭の建立と推定されている。覆屋(おおいや)がないため彩色は落ちてしまっているが、もとは朱塗りだった。

扁額(へんがく) 社殿の正面、文面4年(1821)烏山藩主大久保佐渡守忠成書。

えがら天神社 旧所在地は旧字えがら841番地付近の水田中の塚上であった。銘文は「明治四未 正月廿五日、再建」。江戸初期に山口九兵衛が鎌倉の荏柄(えがら)天神を祀ったという。

白山神社 「新編相模国風土記稿」に村民持ちとして記されている。銘文は「寛延二(1749)己巳年九月廿九日」。
あつぎの文化財獨(ひとり)案内板より

大山・江の島・鎌倉詣で
鳥居の向こうに三島神社の本殿が見えます。なかなか広い境内に
立派な社殿が建っています。

大山・江の島・鎌倉詣で
釣鐘です。割と簡単に叩けそうな趣なんですが。音がするからなあ。

大山・江の島・鎌倉詣で
色々、いわくがありそうな物があったり、木からもオーラを感じたのですが
石碑の字がまったく読めませんでした。

大山・江の島・鎌倉詣で
三島神社の本殿です。もとは朱塗りだったそうです。
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旧渡船場

大山・江の島・鎌倉詣で
三島神社から150mほど相模川の方に歩くと旧渡船場に出ます。
特に、看板も無くて東名高速の橋も補修中でした。
かつては水量が多かったので船の使い甲斐があったのでしょうが
今は水量が減ってしまいました。
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旧渡船場

江戸時代、岡田村には渡船場が設けられていた。「新編相模国風土記稿」は「村持ちで渡船二艘を置くが、天正年中家康が渡河の際、架橋(かきょう)して以来春冬二季は橋を渡すと伝えている」と記している。
あつぎの文化財獨(ひとり)案内板より