明石弁天2


水かけ弁天

渡良瀬橋
水もしたたるいい女になれる水かけ弁天。時代があまりに新しく、ありがたみが出るには今少し時間が必要だろう。

なで弁天

渡良瀬橋
弁天様は琵琶を奏でておられるので、特に歌舞音曲を生業とするものに霊験があらたかといわれる。人気商売なので美人になれればなおのこと。なでまわしたら、せっかくの像のの凹凸がツルツルになりそうな心配もした。

美人弁天

渡良瀬橋
左右のなで弁天に囲まれた美人弁天舎。

美人弁天

渡良瀬橋
中を覗いてみると金色の美人弁天が鎮座されており、八本の手でそれぞれ、弓、箭、剣、宝来、輪宝、鉾、鉢棒、長杵を持つ八臂弁天であった。


心のやさしい美人弁天のいわれ

渡良瀬橋
本城の地に住む八重は、短命の家系に生まれ、自分の家
にまつわる言い伝えに悩み苦しみ、悲嘆にくれていました。
十八歳を過ぎたある日、旅の先達様が通りかかり、お茶を
一杯出しながら、身の上話をしました。先達様は、「この
地に清泉の湧く池があり。そこに弁天様が祀られています。
その弁天様に百日お参りすれば、あなたの人生はきっと変わりますよ。」を言い残して旅立っていかれました。

八重は先達様の言葉を信じ、毎日毎日、弁天様に心を込めて、一心に祈りを続けました。お参りを始めてちょうど百日目、一人の若者に出会い、夫婦になりました。七人の子宝にも恵まれ、先達様がいわれたように八重の人生は変わりました。

弁天様のご加護のもと、世の悲しみも苦しみも越えて
幾年月を経て、八重は多くの孫たちに囲まれ、「健康」にも恵まれ、他の市う心豊かな人生を送ることができました。悩み苦しんだ短命の言い伝えは八重の代で終止符を打ち。「長命」を授かりました。八重は幸せの中で「美しい」人生を送り、百二歳の天寿を全うしました。そして、弁天様の「護符を胸に」在世に感謝しつつ、八重は「花鳥の黄泉の国」へと旅立ちました。

平成十八年一二月六日 浅沼邦夫識す 浅沼公子

白汀 野口林造書
畊石 野口孝刻
明石弁天の解説板より

明石天満宮 織姫神社

渡良瀬橋
織姫神社の分社 明石天満宮があった。