三浦市最高峰岩堂山登頂記05 岩堂山登頂



この小さな広場のコンクリート製の枠は三崎砲台観測所の遺構だそうで、東京湾の入口に位置した三浦市最高峰の石堂山は明治時代に海から侵入してくる外敵から東京を守る要塞とされた。


小さな広場の横に鉄塔は立っているのだが、ここが最高地点だろうか。だが思い出してみよう。遠くからの景色では鉄塔は最高地点より少しずれていた筈。


先ほどの岩堂山の遠景を見ると鉄塔よりも左手が明らかに高くなっている。


そこで、鉄塔の金網の横を少し登ってみようと試みたのだが、いかんせんそんな事を考える人もいないらしく、道が付いているわけも無い。それでも登っていくと確かに先に進むほど高くなるのは間違いはないのだが、若干の危険も感じたので、断念することにした。


この鉄塔にも興味があったので金網越しに中をのぞいて見ると、鉄塔の外に変電器や電源盤などがあった。


形から携帯電話の電波塔なのは判っていたが、今は無きボーダフォンの鉄塔だった。現在も使われている様子なので、多分ソフトバンクの電波塔として使われているのではないだろうか。



岩堂山に来る途中で見た風車がここからは大きく見えた。宮川公園の風車だそうである。


三崎砲台観測所の遺構からは雄大なパノラマが広がっている。さえぎるものも無い場所なので景色の開け方は半端ではない。ただし、畑が遺構の目の前まで寄せていて岩堂山山頂を示す82.2mの国土地理院二等三角点も畑の中にあるそうである。
ただし京浜急行の三浦半島マップによると岩堂山山頂は89.9mとなっていて、こちらは登ることを断念した鉄塔のもっと先の一番高い場所を示しているようだ。



岩堂山の三角点は何処かと辺りを見回すと畑の真ん中に突き出た四角い石と良く見る白い木の杭がある。あれがどうやら三角点の様だが、この様なことになった経緯は良くわからない。苗のうちだから見えたが、野菜が成長したら葉に隠れて見えなくなってしまうだろう。


もう7mほど草木をかき分けて登れば最高地点に到達出来たのかもしれないが、都会人には残念ながらイノシシの真似は出来なかった。岩堂山からの帰路、登ってくる時には気がつかなかったが、山道に入口のようなものがあった。入口が固められていたが、岩堂山要塞化大作戦の名残だろう。弾薬の保管庫にでも使われていたのではないかと思う。