港の見える丘公園と異人館めぐり


外人墓地周辺



港が見える丘公園から外人墓地に向かう途中左手にレンガ造りの建物が見える。この建物はかつて横浜の外国人が建てた日本初の西洋式劇場であったゲーテ座の跡地に立てられたミュージアム岩崎博物館である。ゲーテ座は1885(明治18)年にオランダ人ヘフトによって運営されていたが、関東大震災で倒壊し、現在のミュージアムは1980(昭和55)にこの地にゲーテ座をあった事を記念して建てられた。

ゲーテ座跡


明治18年(1885)4月、この地に居留外国人のための劇場「パブリックホール」が開場した。アマチュア劇団の芝居、音楽会等様々な催し物が行われた。設計はフランス人ポール=ピエール・サルダで、建坪270坪、地上2階地下1階の赤レンガ造りであった。
明治41年(1908)11月、「ゲーテ座」 と改名した。大正12年(1923)の関東大震災で倒壊するまで外国人の社交場でもあった。この前身は、オランダ人へフトにより明治3年(1870)現山下町68番地に開設された「ゲーテ座」 と名づけられた劇場である。
ゲーテ座跡の解説板より転載


岩崎ミュージアムからすぐに外人墓地の手前に2014年4月に出来たばかりの 「ブラフ99ガーデン」 に寄ってみる。異人館の庭をイメージしたという公園のアーチには、まだ骨組みがあらわで花は付いていないが大体整備が済んだようである。後は庭師の仕事なのだろう。


ガーデンの傍らにはハート型のベンチも備え付けられていた。ただしこのベンチは意外と大きく4人は座れる。恋人用にはもう少し小ぶりのほうが良かったのではと思ったりした。


外人墓地の入口に到着した。外人墓地は門を入ったところにあるベランダまでしか公開日以外入れない。


外人墓地入口のすぐ右手には横浜外国人墓地資料館があって無料で公開されている。一応無人ではあるが、内部の撮影は禁止されているので内部は掲載できない。館内は1つの部屋で中央にパネル用の小さな壁があり写真などが張ってある。周囲の壁には小型の写真と解説が並んで張ってあるといった風景。

外人墓地のベランダにはパネルが張ってあり細かい字で説明書きがあった。左のプレートに日本語と英語で半々に刻んであり、文字は小さく読みにくい。

横浜山手外国人墓地


2万平方メートルの敷地に、4,200柱が眠るこの横浜山手外国人墓地の歴史は、1854年(嘉永7年)、アメリカ水兵の埋葬にはじまります。開国交渉のため訪れていたペリー提督がひきいる艦隊ミシシッピ号船上の事故で、1人の水兵が死亡し、当時は小さな漁村であった横浜を一望するこの丘にその亡骸が葬られました。以来この墓地は、人種、宗教にかかわりなく、日本で活躍した多くの外国人の安息の地となり、その国籍は40数カ国に及んでいます。地震、台風そして戦禍をまぬがれ、今日では横浜は言うに及ばず日本の文明開化以来の歴史を偲ぶ重要な史蹟となっています。
過去130年、墓地は非公開とされてきましたが、1984年(昭和59年)に横浜外国人墓地管理委員会は、世論の関心の高まりに応え、定期公開にふみきることを決定しました。公開に先だち、擁壁や園路の整備、植栽など多くの修復工事が必要となりました。日本人、外国人を問わず、多くの人々の寄付や、横浜市と神奈川県からの補助金によって、この修復事業は可能となり、外国人墓地の歴史に新たな章が書き加えられました。私たち墓地管理委員会は、これらの人々のご厚意に心から感謝申し上げます。この墓地が、日本と諸外国との友情のシンボルとして、また近代日本の発展に多大な貢献をした人々を記念するものとして永遠にとどめおかれるよう、皆様のあたたかいご支援、ご協力をお願いいたします。

横浜外国人墓地管理委員会
横浜山手外国人墓地の解説板より転載


ベランダからは斜面を利用した墓地の一部が見えるが、広大な墓地の全容を眺めることは不可能。


外人墓地の向かい側に、フレンチレストラン山手十番館がある。山手十番館の建物そのものは明治百年祭を記念して昭和42年に開館したもので古いものではないが、敷地内にビア・ガーデンをはさんで明治42年(1909)に建てられた中澤兼吉邸を移築した山手資料館がある。


山手十番館のビアガーデンの前にヨコハマ山手観光案内の地図が立っている。この地図が今一番的確に山手地域の名所を判りやすく描いた地図だと思う。この山手本通りは日本の道100選にも選ばれているという。


山手資料館は庭の先にあり建物は横浜市認定歴史的建造物に指定されている。明治42年(1909)本牧本郷町に建てられた中澤兼吉邸の洋館部分を2度目の移築で移したもの。展示内容は横浜開港と山手の歴史を中心とした花ひらいた文明開花期の資料各種。以上案内板より抜粋。庭の見学は自由との事。入場料大人210円、学生160円が必要。


外人墓地と元町公園の間を貝殻坂と名付けられた階段の道が下へと続いている。外人墓地に沿って降りる道で、入場がかなわぬ外人墓地を外から観光することの出来る道でもある。


この一角はカトリック山手教会墓地で、外人墓地とは仕切られているが、お墓に興味がある人は道からでも眺められる。




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