下鶴間浅間社(せんげんしゃ)遺跡
ここは浅間神社の旧所在地で、昭和49年の神社移転に際して、同年7月~8月にかけて発掘調査が実施されました。その結果、旧石器時代・縄文時代・近世の遺構と遺物が発見されました。
縄文時代では、紀元前7500年頃(縄文時代早期)の人たちが住んだ竪穴住居跡1軒が発見され貯蔵用の土器(深鉢形土器)、狩猟具(石鏃せきぞく)、加工具(使用痕のある剥片)、掘り具(礫器れっき)、植物加工具(石皿・麿石すりいし)が出土しています。市内では同時期の竪穴住居跡は他には発見されておらず、最も古い住居跡であり、住居内から出土したこれらの道具の組み合わせは当時の生活を明らかにするうえで貴重な資料となっています。
近世では、塚が2基あり、地元には富士塚との伝承が残っていました。富士塚信仰は山を聖地としてあがめ、信仰の対象としていた風習の一つであり、こうした信仰は江戸時代に広く隆盛しました。
大和市教育委員会
案内板の写真を少し拡大して見てみます。
旧浅間社遠景(西から見る)
現在では周辺を住宅で囲まれてしまったのでこのような景色を見る事は出来ない。
竪穴住居跡 規模は長軸6.1m 短軸5.8m
旧社殿裏手の塚(1号塚)
旧社殿参道脇の塚(2号塚)