少しずつ緩やかな坂を登っていくと子供達の元気な声が聞こえてきた。寒川さくら幼稚園の子供達だろう。幼稚園の先が菅谷神社となる。この幼稚園、神社を含めた一帯が国土地理院の標高25mの等高線の枠内に入っている。
菅谷神社の境内も平坦で特に盛り上がってる場所も見当たらなかったが、25m等高線の広さからすると、標高26mは間違いないところだろう。とすると塔の塚といい勝負になる。ともかく塔の塚では果たせなかったが、この地点では思う存分最高地点らしきものを踏みしめることが出来た。
記念碑
當神社はもと神明宮(通称天宮)と称し岡田小谷大蔵の鎮守として
往昔よりこの地に鎮座せらる明治四十二年七月二十三日各部落内の
五社を合祀して社号を菅谷神社と改む 今年偶々合祀並に社号改称
五十年記大祭を執行するに当りこれが由緒の堙滅せんことを貴れ
茲に往時に於ける各社の鎮座地当を刻み以てこれを後昆に伝う
鎮座地 社号 御祭神 例祭日
岡田 神明宮 天照大神 七月二十三日
小谷 稲荷社 倉持魂命 十月十一日
大蔵 諏訪神社 建御名方神 八月二十七日
西岡田 八坂神社 素盛鳴命 七月十五日
東岡田 東守権現社 天忍穂耳命 九月九日
岡田 日枝神社 大山昨命 九月二十九日
大蔵 第六天神社 大蔵総鎮守 大蔵山王社
菅谷神社
天保神輿(てんぽうみこし)
寒川町指定重要文化財七号
昭和五十四年十二月一五日指定
天保九年(1838)国府祭の帰路、馬入(ばにゅう)で馬入の若衆と喧嘩となり川に流され、茅ヶ崎南湖の浜で孫七にひろわれた元寒川神社の神輿を改装したものである。
寒川町教育委員会
しかし、現在のところ寒川町の最高地点はせいぜい26m程度である。ところが国土地理院の地図の上に寒川町立寒川小学校の敷地に32.8mの三角点があるのを見つけた。何かの間違いではと真実を検証するために行ってみる事にする。菅谷神社の四辻から道は細いが西方向に入って寒川小学校を目指した。