洞窟の中を覗き見れば、さほど奥が深くは無い洞窟の奥に、小さな観音像と石標がみとめられた。時代をさかのぼれば、一時的にせよ、この洞窟のお世話になった人もいたのではないかと思わせた。
山の斜面に突き出た洞窟の姿は、確かに単なる穴蔵とは違う、弥生時代の埴輪の頭部の様にも見えた。
胎内洞窟
此の洞穴はお胎内と呼ばれ浅間大菩薩の木花咲耶賣命が出現された聖地とされており現在は中に文殊菩薩が祀られこの山の上には父神の大山津見命の石尊大権現宮があります。
洞穴の入口で修験者により加持祈祷が行われており、焚上の火のため天井岩が黒くこげてそのあとが残って居ります。
祈願の主は子授。安産。魔除。災難除。疫病除。害虫除。その他全般に渡り呪占等の行われていたと言い伝えられており富士信仰の中でも貴重な聖地です。
平成13年6月1日
足利富士浅間神社
胎内洞窟横の案内板より
今度は山頂石尊宮を目指す。先ほどの浅間神社の社殿が見晴らしも良いので山頂のように思えたが、本当の山頂はこちらの事らしい。一応道はついているのだが、ほとんど通る人がいないらしく、樹木や草が伸び放題で私の行く手を幾重ものクモの巣がさえぎっている。仕方が無いので、笹の葉を折って、それを振り回しながら登ることにする。
男浅間山の山頂石尊宮に登りつめると小さな石の宮が出迎えてくれた。こちらは樹木で景色は殆ど見えなかった。
先人達の置いた数枚の銭が石の上に並べてあった。私も一枚の銅銭を奉げて祈りを奉げた後下山することにする。
織姫神社から眺めてみると、赤の社殿と山頂石尊宮は同じような高さに見える。登った感じでは赤の社殿と山頂石尊宮の標高は殆ど同じ位だったのではないか。左の山頂石尊宮の方が少しだけ高いのかも・・・・
由緒
当神社は、天喜2年(1054)藤原秀郷侯7世の孫、藤原姓 足利氏の祖、従五位の下足大夫成行公が足利城築城に際し勧請されたと伝えられております。
古来 足利富士として信仰され、上の宮、下の宮、の二社から成り、上を男浅間、下を女浅間と称し崇拝されております。
御祭神 木花咲耶賣命 祭礼は毎年6月1日、昔から足利富士浅間山の山開き、この一年の間に生まれた赤児の初めてのお詣り、初山詣で神前にて御朱印を額に押していただき、無病、息災、無事成長を祈願する祭礼初山ペタンこ祭りです。
江戸時代中期より行われてきました。その頃、足利地方では富士山信仰が盛んで多数の信徒、行者、先達がおり富士山講が広く行われていました。
境内の石碑に名前が残されております。
当時疫病、悪病が流行したため、神社の御朱印を子供達の額に押し神の御神威により病魔を退散災難から、幼い子供達の命を守護するためこの祭りが行われたと伝えられています。
初山ペタンコ祭は足利市重要文化財、民族文化財にしていされております。
足利富士浅間神社
足利富士浅間神社の石板より