福石
源頼朝公 当社参拝の折
この石に服を掛け 海水
で楔祓したので福石とも
呼ぶ 古来この石の前で
物を拾ふ時は服を授かる
故に福石を稱す
金沢四万石の一である
昭和五十四年五月
瀬戸神社御鎮座八百年記念建之
琵琶島福石の案内板より
横浜金沢ロータリークラブが創立40周年記念に立てた解説板があった。
金沢八景名称の由来
その昔 金沢六浦の地は海路の要所となる重要な港湾であただけでなく 浦波島山のさまが千変万化に見えて 鎌倉幕府以来の武将たちはもとより 江戸の町人や明治の貴紳・文化人たちの安らぎの場所であったことは史実に明らかであります。
八景の名称は 水戸の徳川光圀に招聘された中国の僧 東皐心越禅師が元禄七年(西暦一六九四年) この地に来遊し 谷津の能見堂からの眺めを故郷の杭州西湖の風景になぞらえて 八景を吟じたのはじまるといわれています。
武州 金沢八景
洲崎の晴嵐(すさきのせいらん)
野島の夕照(のじまのせきしょう)
瀬戸の秋月(せとのしゅうげつ)
平潟の落雁(ひらかたのらくがん)
小泉の夜雨(こずみのやう)
内川の暮雪(うちかわのぼせつ)
乙舳の帰帆(おっとものきはん)
称名の晩鐘(しょうみょうのばんしょう)
野島山の沖には夏島 烏帽子岩 猿島が点在しており今日の六浦・泥亀・釜利谷にまで入り込む内海と緑の山なみが作り出す風景に加え四石・七井・八名木のほか 神社・寺院が適切に配置されていて 今から数十年前までは 真に景勝の地でありました。
金沢四石:美女石・姥石・福石・飛石
金沢七井:御井戸・亀井・白井・赤井・御中井・染井・荒井
金沢八名木:青葉の楓・西湖の梅・黒梅・桜梅・文殊桜・普賢象桜・蛇混柏・雀浦の一つ松
横浜金沢ロータリークラブ提供の案内板より一部を転載
かつての金沢八景を描いた絵地図の部分を拡大。
教育委員会の案内板もあったが内容は殆ど重複していた。老朽化して読めなくなったときのために立てたのだろうか。
横浜市地域史跡 琵琶島
平成三年十一月一日登録
琵琶島は島の形が琵琶に似ていることから呼ばれたと言われます。
島には北条政子が近江(滋賀県)の竹生島から勧請した弁天を祭ってあります。
もとは瀬戸神社全面の海中にあり、二つの島を橋で結んでいましたが、現在は陸つづきとなっています。
金沢八景の一つである 「瀬戸の秋月」 の夜景を今に伝えるところです。
よるなみの瀬戸の秋風小夜更けて
千里のおきにすめる月かけ
京極高門
平成四年三月 横浜市教育委員会
琵琶島の案内板より