白山古墳と加瀬台7号古墳



夢見ヶ崎動物公園のゲートの右手に高台があって広場になっている。一体は、今は無き白山(はくさん)古墳と加瀬台7号古墳の大きさを再現してあり目印によって今は消滅した巨大古墳の大きさを実感できるようになっている。夢見ヶ崎の台地全体で、現在11個もの古墳があった事が確認されている。


広場の地図には白山古墳と加瀬台7号古墳を再現した場所が記されている。白山古墳は前方後円墳で全長が87m、後円部の直径が42m、加瀬台7号古墳は円形古墳で直径30m。この絵の場所に古墳があったと誤解を受けかねない疑問の多い案内板。



加瀬台7号古墳を再現した方向。
円形古墳である加瀬台7号古墳を再現した場所には円形に点々と印が付けられていて大きさが判る様になっている。
中央奥の塔は明治以降の戦没、戦死者の慰霊塔。


白山古墳を再現した方向。前方後円墳で手前が円形部になる。


9号古墳の前には、加瀬山一帯の詳しい地図があって、11基の古墳の場所が記してある。現在見ることが出来るのは7基で、残る4基は現在では消滅して見ることが出来ない。



少しだけ地図部分を拡大してみる。


夢見ヶ崎動物公園周辺の古墳群
夢見ヶ崎の細長い台地には、現在わかっているだけでも、11基の古墳が築造されていました。
そのなかでも白山古墳は、全長87mの大きな前方後円墳で、武蔵国でも最古級の、4世紀後半に築造されたものです。特に、後円部の木炭槨(もくたんかく)から発見された三角縁神獣鏡は、初期ヤマト政権から、この古墳の被葬者に分与されたものと考えられる歴史的にも貴重な鏡です。
白山古墳の西隣には、7世紀代に築造された第六天古墳が位置していました。こちらは、墳丘径19mの大形の円墳で、横穴式石室からは、勾玉・金銅製鈴等の副葬品とともに、11体もの遺骸が発見されました。
両古墳とも、その後、削られてしまいましたが、この公園内には、加瀬山第三号墳や獣面鏡・鉄斧等を出土した第4号古墳をはじめとする高塚古墳が、いくつか現存しております。
貴重な文化財の保護に、皆様のご協力をお願いします。
なお、夢見ヶ崎と呼ばれる地名のおこりは、太田道灌がここに陣をしいて築城を計画したが、ある夜、自分の兜(かぶと)を鷲に持ち去られるという縁起のよくない夢を見たので、築城をあきらめたという故事からきていると伝えられています。
昭和62年10月  川崎市教育委員会