司馬江漢の描いた江の島


司馬江漢(しばこうかん)

延享4-文政1年(1747-1818)

江戸生まれ。画号は不言道人、春波楼など。狩野派で絵を学んだ後、長崎派の画家・宋紫石に南蘋派を学ぶ。後に洋風画に転じ油絵も描きはじめた。西洋の手法を用いた日本風景図で広く知られる。また哲学者、社会思想家としても多くの著作を残している。

江の島マニアック
「江之島富士遠望図」 肉筆 氏家浮世絵コレクション
実際の富士山は視線のはるか右手にあり絵の中に描かれる筈もないが、聖天島のデフォルメされた大きさといい遠近法や西洋画の筆使いを用いて壮大に描かれた理想的な江の島である。

江の島マニアック
「相州江之嶋児淵より富嶽遠望図」 肉筆 双幅
    文化(1810年)頃の製作
岩屋海岸の男性的な様相の岩場とやさしい富士を配した双幅(2枚が対になっている掛物)。富士の手前にはエボシ岩もはっきりと描かれている。エボシ岩は随分と大きく書かれているが戦後、米軍の射撃演習に使われ島の形が変わって小さくなったといわれる。
以前はこのような大きなエボシ岩であったのであろうか。
この双幅は平成3年、名古屋丸善で開催された、肉筆画の展示即売会のカタログにあった図より(ちなみに2800万円だそうです!!)
現在の所有者は不明。2枚とも写真提供:新美義人様より



江の島マニアック
重文「相州鎌倉七里ヶ浜図」二曲一隻 神戸市立博物館
題名は七里ガ浜であるが中央奥には江の島と富士がしっかりと描かれている。江の島の右手前の岬は「小動岬(こゆるぎ)」。江の島と小動岬の間に富士を配した作品はよく見かけるが、ここでは富士を江の島の左手奥に配したことで、思いもかけなかった遠近感が生まれ、手前の漁師の姿も生き生きと伝わってくる。同時に真鶴半島に連なる漁師達の生活の場である駿河湾も広大に描かれることとなった。

江の島マニアック
「江ノ島風景」 27×57.2cm 絹本肉筆
上の絵と似た構図であるが、違いは富士が江の島と小動岬の間に描かれていることであろう。こうするだけで江の島は絵の中央に浮かび上がってくる。大きく描かれた龍口山と江の島の対比も伝説を思い起こさせる。油絵。


江の島マニアック
絵の題名は「江の島風景」。肉筆で淡彩紙地に書かれた江の島。切り立った岩と広い砂浜が描かれ、人の住める平地の少なさが際立っている。背景にはやはりあるはずの無い富士の姿があり、その優しい富士と激しく描かれた江の島が対比している。得意の遠近法は何と打ち寄せる波で描かれている。