横浜写真


江の島は明治の初期から横浜に居住する外国人にとって近くて格好の行楽地として人気があった。
そのため、外国人のみやげ物として日本の情緒たっぷりの江の島の写真がもてはやされたのである。
その当時は銀鉛の白黒写真であり日本人の絵師が一枚ずつ筆で彩色したものが横浜写真と呼ばれ絵はがきとしても多く残っている。
外国人向けであったので費用の面では少しくらいかかっても需要があり、大量の絵師を動員して商売していた店もあったという。

江戸時代には江戸の人々の需要にこたえるため大量の浮世絵が、そして明治以降には横浜の外国人の需要にこたえるため大量の人工彩色写真がつくられた。
幸いなことにそれらの多くが現存し、当時の江の島の様子を知ることが出来るのである。

江の島マニアック
1009.ENOSHIMA
片瀬側から江の島を望む。
桟橋が出来る明治24年以前の写真。
干潮時には完全に陸地と離れている。

江の島マニアック
M 451 THE DISTANT OF ENOSHIMA
右に腰越の小動岬、そして左手に江の島。
鎌倉側から写した写真。
曇っていたらしく富士山は見えぬが人力車を配したところは
明らかに日本みやげの観光写真。

江の島マニアック
466 YIEW OF ENOSHIMA
干潮時に片瀬と繋がった江の島。
片瀬川の砂浜に上げられた漁船の風情。
これも桟橋が出来る明治24年以前の写真。

江の島マニアック
872 INLAND SEA
腰越、小動岬側から見た江の島。
桟橋があるので、おそらく明治30年位の写真であろう。
漁船も若干大型化しているように見える。



江の島マニアック
1016.ENOSHIMA
この写真には渡しに使う馬が写っている。
江の島では桟橋が出来るまでは馬や牛にお客を乗せて
負越賃を取って運んでいた。
写真では島が繋がっているため馬も所在なさそうである。

江の島マニアック
123A ENOSHIM ISLAND
片瀬川の河口は西へ折れ曲がっている。
砂浜の河口は常に一定ではない。
漁師が運んでいるのはマキであろうか。

江の島マニアック
江之島 B162 Yenoshima 20
片瀬から見た江の島。
人馬と手前は旅人風の人物。
集団で固まっている人と小屋は
負越の人々と客と思われる。



江の島マニアック
L25 ENOSHIMA
随分陸に船を上げたものだと思うが
何しろここは江の島。
満潮時にはここが波打ち際なのだ。
大きな荷を持った人物は島に物品を運ぶところであろう。

江の島マニアック
KATASE near YENOSHIMA A Japanese Hotel.
付属の英文では江の島近くにある片瀬の旅館となるのだが、
右下にある鳥居が江の島の青銅の鳥居のようでもある。
しかし、だとすると旅館は恵比寿屋となり鳥居左横の絵図屋が見当たらない。
これは、やはり片瀬である。
かつては藤沢から江の島まで多くの鳥居があったのでその一つであろう。

江の島マニアック
47 YENOSHIMA
これは、江の島の青銅の鳥居。
右の建物から珍しそうに顔を出す少年達。
明治初期の写真と思われる。



江の島マニアック
1011,STREET IN ENOSHIMA
上の写真と建物も石垣も同じであり
時期的には殆ど一緒。
この鳥居のすぐ前は海である。

江の島マニアック
1010.STREET IN ENOSHIMA.
この写真は恐らく津波に教われて間も無い時のものだろう。
崩れた石垣。一部が破壊された建物。
青銅の鳥居も土台を補強した後が見える。
鳥居の前の小船は鳥居の目の前が砂浜であることを示す。

江の島マニアック
D 15 CHIGOGAFUCHI,ENOSHIMA
稚児が淵の様子。
恐らく夏なのだろう。
白い浴衣と日傘を持つ女性の姿。
景色は今とあまり変わらない。



江の島マニアック
A 287 STREET OF ENOSHIMA.
上の鳥居の写真と比べると決定的に違うのは
石垣の高さが明らかに低いことである。
鳥居の土台を見るとどうもこの写真が
鳥居の写真では一番古いものではないだろうか。

江の島マニアック
1101 CAVE AT ENOSHIMA
第一岩屋の入り口の写真。
関東大震災で一帯が隆起するまでは
この写真の様に海水が岩屋に入り口まで来ていた。
竹と木で組んだ簡単な橋に乗った人々が見えます。
そんなに乗って大丈夫でしょうか?

江の島マニアック
L28 ENOSHIMA,CAVE(B)
第一岩屋の中からの写真。
今は、下部をコンクリートで埋めてしまったので
この風景はもう見れない。