江の島マニアック 三軒茶屋から用賀

三軒茶屋から用賀


大山・江の島・鎌倉詣で
三軒茶屋の交差点にある交番の前には三軒茶屋の説明板があります。
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三軒茶屋(さんげんぢゃや)

三軒茶屋という地名は、江戸時代の中頃、大山道(矢倉沢往還)の本道(現世田谷通り)と近道(現玉川通り)の分岐点付近にm田中屋・信楽(のちに石橋屋)・角屋という三軒の茶屋があったことがおこりといわれています。
この茶屋は、みな座敷に膳をととのえ、茶屋娘をおく立派な構えの料理茶屋でしたが、一方、店の前に床机(しょうぎ)を並べ、葭簀(よしず)を立てて、道行く人々にお茶の接待もしていました。
江戸時代は、大山詣で(おおやまもうで)や多摩川行楽の人びとの休み処(どころ)としてさかえ、回りには、髪結床(かみゆいどこ)や煙草屋などもありました。
明治以降、シャボン屋、立飲みのできる酒屋、駄菓子屋、魚屋など、いろいろな店が増え、明治40年には、玉川電車も開通して、しだいに盛り場をしての体裁を整えてきました。
三軒茶屋の交番前にある説明板より

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説明板には江戸末期にあった三軒の茶屋の地図が書いてあります。

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現在の三軒茶屋の地図もあります。



説明板の上に江戸時代の三軒茶屋の様子を再現した小さなセットがあります。
立体写真で見れますので、お楽しみ下さい。
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交差法(右目で左の画像を、左目で右の画像を見てね。鼻の頭を見る感じで。)

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平行法(右目で右の画像を、左目で左の画像を見てね。遠くを見る感じで。)

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三軒茶屋駅入口に建つ大山道標。
詳細は写真左手の案内板の内容を下に記しておきます。
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地下鉄入り口の屋根より背丈の高そうな
不動明王が上に乗った大山道標。

道標

銘文 (正面)左相州道
大山道
(左側面)右富士 世田谷登戸道
(背面)天下太平国土安穏
寛延二 己巳 年建立
文化九 壬申 年□(再力)
五殻成就萬民家楽
(右側面)此方 二子通


石工 江戸本材木町8丁目 石田屋□□□(花押)
年代伝来
寛延2年(1749)、文化9年(1812)再建
大山道は、矢倉沢往還の俗称である。この道標は、旧大山道(代官山屋敷前経由)と文化・文政期ごろに開通したといわれる新大山道(桜新町経由)との分かれ道にあった石橋楼(三軒茶屋の地名の起こりの茶屋の一つ)の角に建てられていた。
大山は、古い民族信仰である石尊信仰を山岳仏教の信仰とが結合し、相模の修験道場として重きをなし、将軍をはじめ多くの人々に崇敬された。とくに文化文政期以降は江戸町民などの大山詣でが盛んになり、その案内のため大山道沿道に多くの道標が建てられた。
この道標は、多摩川電車の開通や、東京オリンピックの道路の拡幅などにより転々と移されたが、昭和58年5月に三軒茶屋町会結成50周年記念事業の一つとして元の位置近くに復された。

備考
一、この道標は、本来は渋谷方面に向いて建てられていた。
一、相州道・二子道は、ほど現在の玉川通りである。
一、富士・世田谷道・登戸道は、ほぼ現在の世田谷通りである。


昭和59年3月     
世田谷区教育委員会
三軒茶屋の道標脇にある案内板より



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新大山道の玉川通りを三軒茶屋の交差点から250mほど進むと
左へ分かれる道があります。
小さな道ですが旧道のようにも見えたので入っていきました。
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わずか400m程のわき道には特に旧大山道の名残はありませんでした。
道が終わる頃、他人様の敷地内ですがこんなものを見つけました。
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上馬交差点

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玉川通りに戻り250mで上馬の交差点にさしかかります。
車は多いですが横断歩道を渡ります。
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宗円寺

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上馬の交差点を渡ってすぐ左斜めに入る細い道の入口に
八幡山宗圓寺があります。
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大山・江の島・鎌倉詣で 難しい字ですね。宗円寺と記してある地図もあります。

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宗圓寺境内。小さなお寺で詳しいことは解りませんでした。



駒沢交差点

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上馬の交差点から800m歩くと駒沢の交差点になります。
左折すると駒澤大学です。
ここで信号を渡り玉川通りの右側を歩く事にします。
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庚中様

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駒沢の交差点からほんの100m強歩くと道端に庚中様が祀ってあります。
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庚中様を後にして150m程で右へ入る道があります。
右が旧大山街道ですので右へ入っていきます。
左が国道246号線 別名玉川通り 右が旧大山街道
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この道は街路樹も綺麗で歩いていても楽しい道です。
しばらく歩いていきます。
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久富稲荷神社

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旧大山道に入って400m程で久富稲荷神社への入口があります。
距離的には玉川通りにはるかに近いく、こちらからいく場合は
300mも鳥居をくぐり続けなければなりません。
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桜神社

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歩いていくとすぐに古式神道本営桜神社があります。
久富稲荷神社への入口は道路の左手ですが桜神社は右手です。
桜新町駅の手前になります。さくら幼稚園が併設されています。
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古式神道本営 桜神社 (通称)

創建
(注)大中臣家(おおなかとみけ)の65代の後裔で伊勢皇太神宮の(筆頭)祢宜(ねぎ)であった芳村正秉(よしむらよしもち)が時の政府方針「神官は人を教導できない」 に危機感を抱き、神代より脈々と受け継がれる古式神道を蘇らせるため明治15年5月15日勅許を得て、教派神道13派の1派を立てる。
名称も神宮奉職中に神託によって授かった。
「神習いの教」とした。以来、当宮は古式神道を受け継ぐ大神の宮として、また、教えの本山として親しまれる。
明治16年
東京市神田に創建、明治後期には「病気治し」 「火伏せ」 の神徳があると多数の人が参詣する。また外務省の紹介により多くの外国人が訪れ、鎮火式(ちんかしき・火渡り)や深湯式(くがたち・熱湯を浴びる)の神事に参加する。
大正8年
「西の方角へ直ちに移転せよ」との神託により、現在地に移転する。
神田界隈の関東大震災による被害は大きかったがこの移転により災害から免れる。また、第2次大戦時も戦災から免れ「災難よけ」でも崇敬を受ける。
(注)大中臣家は古事記に記されている天孫降臨(てんそんこうりん)の際の随神である天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祖神とし、神代より宮中祭祀を司る氏族
ご神体 御鏡
ご神体の由緒
ご神体の御鏡、明治初期に伊勢の神宮祭主久邇宮朝彦親王が信任を寄せる芳村正秉に御親ら分霊され授けられたもの
ご祭神
天津三柱尊(あまづみはしらのかみ
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)
    (人の祖師ン、縁結びの神)
天照大御神(あまてらすおおみかみ)(伊勢内宮主祭神)
豊受大神(とようけのおおかみ)(伊勢外宮主祭神)
倭姫大神(やまとひめのおおかみ)(神宮ご鎮座の御杖代の神
国常立尊(くにのとこたちのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)
    (健康、福徳、開運の神)
底筒男命(そこづつおのみこと)中筒男命(なかづつおのみこと)表筒男命(うわづつのおのみこと)
    (身滌、渡航の神)
伊久魂大神(いくたまのおおかみ)(鎮魂の神)
水天宮(すいてんぐう)(安産の神)
正一位稲荷大神(しょういちいなりおおがみ)(商売の神)
菅原大神(すがわらおおかみ)(学問の神)
諸祭祈願
結婚式・安産祈願・初宮詣・七五三詣・合格祈願・良縁成就・家内安全・商売繁盛・指導者祓い・健康祈願・開運厄払・地鎮祭・上棟(竣工)祭・神式葬儀・慰霊祭

桜神社境内の案内板より



桜新町駅付近

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桜神社からすぐの田園都市線桜新町駅の駅を過ぎたあたり。
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伊富稲荷神社

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桜新町駅から200mほど歩くとライオンズプラザ桜新町の先に小道
がありますので、伊富稲荷神社に寄るために右折します。
と寄ってみたもののちょっと寂しかったので戻ります。
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用賀神社

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ライオンズプラザ桜新町から500mほどで道の左側に
用賀神社への入り口があります。
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鳥居の下の階段を登っていくと用賀神社の境内。
都会の真ん中で不思議なほど静かな場所。

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用賀神社の御祭神 慶神天皇 天照皇大神 菅原道真公。

田園都市線用賀駅

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用賀神社から数10mで十字路に出ます。
真ん中遠くに世田谷ビジネススクエアが見えます。
ビジネススクエアの前が田園都市線用賀駅。
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300mも歩くと田園都市線用賀駅の先、首都高3号渋谷線の陸橋にぶつかるので
くぐり抜けます。
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