神秘的な干潮の海


 海に囲まれたわが国では、潮の干満や潮が動く際の早い潮の流れなどにまつわる、文学作品や逸話が沢山あります。どうしても戦記物が多くなるのは仕方がないのですが、満潮時や干潮時の、流れの止まった海の動きとは対照的に、ひとたび潮が動き始めると、激しく川の様に流れる海流を制しない限り、勝利は得られないという事実は、潮干狩りにおいても思わぬ危険を回避するための教訓として受け止めたいものです。


現在は簡単に通れる稲村ヶ崎の切通し

 小島法師の作とされる「太平記」には有名な新田義貞の鎌倉攻めの際の稲村ヶ崎突破の様子が描写されています。

 現在では切通しを車であっという間に通り過ぎる稲村ヶ崎ですが、北に続く山は険しく幕府軍が陣取り突破は難しい。海側から回り込もうにも岬の先は海が迫り、砂浜は幅も狭く沖には幕府軍の船が無数に浮かんでいる。細い砂浜を渡ろうものならすぐに矢を射ようと待ち構えてもいる。



幕府軍が弓を構えた沖合も今はサーファーの天下

 そこで新田義貞は馬を降り兜を脱いで潮が引くことを祈願。その際に腰の黄金作りの太刀を海に投げ入れたという。すると見る間に潮が引き広い砂浜が現れ、敵船も沖に押されて新田軍は砂浜づたいに稲村ヶ崎を突破出来たという。




鎌倉側から見ると稲村ヶ崎の険しさが良く分かる

 小説なので面白くなっているけれども、潮汐表も時計も無い時代に、海から遠い群馬を居とする新田義貞が、春の干潮が大きく潮が引く事を知っていたとはとても思えません。たまたま偶然に潮が引いたのか、地元の漁師に何とか方法はないか位のリサーチはしたのではないでしょうか。黄金製の太刀を海に投げ入れるというのも、もったいなさ過ぎて小説上の脚色でしょう。


稲村ヶ崎から富士を眺める

 上は左手に江の島、右手に小動岬を配し中央に富士がそびえる、稲村ヶ崎からの有名な景色。



今は橋が架かって何時でも渡れる江の島

 我が国の沿岸には、沖合の島に干潮時だけ歩いて渡れる地形の景勝地も沢山あり、多くの島内には神社が祭られている事からも、干満によって渡渉が制限される自然界の神秘性には、誰しもが神々しいものを感じていたのではないでしょうか。

 満ち続ける海はありませんし、引き続ける海もありません。必ず満潮の約6時間後には干潮が来ます。大潮や中潮は潮が引いていなくても、最大6時間待つ覚悟があれば、程度の差こそあれ、必ず潮は引く日です。ただし干潮が夜になる事もありますので、潮汐表を良く調べてから海に出かけましょう。春は昼間に大きく潮が引く季節という事です。潮位の変化が少ない長潮や若潮の日は、潮の流れも弱く、いくら待っても潮は引きません。


干潮時にのみ姿を現す和賀江島
和賀江島は鎌倉にあるわが国最古の船付き場で築港遺跡として国の遺跡に指定されてい。

 潮干狩りは文字の通り潮が大きく引く、干潮時に貝を狩る遊びです。潮時を知る事こそが、潮干狩りを制する事と言っても、過言ではありません。いつもは海の底のはずの砂浜で、クマデを使って貝を掘れるのは、海が大きく引いた限られた日の限られた時間だけです。

 ただし潮が大きく引く日は、満ちて来るのも同じくらい早く満ちてきます。
潮が引いた時に沖に出る場合は早めに沖に出て、干潮時間が来たら帰り始める位のつもりでいるのがちょうど良いでしょう。特に岩が多い場所などでは、ちょっと油断すると一面が海水で覆われ、来た道が見えなくなるので非常に危険です。

 潮が大きく引く日だけしか楽しめない自然の恵みを逃さず、潮が大きく引く日と干潮時刻を調べて、是非どなたも潮干狩りに出かけてみませんか。

潮干狩りソング第7弾 もっと潮干狩り

https://youtu.be/j0trgx0CatM

こんな気持ちになるなんて、何時までも採っていたい潮干狩り。


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史上最強の潮干狩り超人