プレゼンテーションそのⅩⅩⅤ(25回)現代の作品


1995年1月21日(土)
東京文化会館小ホール
主催:音楽文化協議会




プ ロ グ ラ ム
1.W.ルトスワフスキ・チェロ、ピアノのための“グラーヴェ”
チェロ・斎藤章一
ピアノ・金 詠子
2.寺内園生・「Shadow(影)」
ピアノ・中野洋子
3.安生 慶・「風の揺れる歌」-ViolinとPianoのために-
ヴァイオリン・恵藤久美子
ピアノ・中野洋子
4.山岸磨夫・ヴァイオリン、チェロ、ピアノのために“かそけき光のはざまにで”
ヴァイオリン・工藤由紀子
チェロ・斎藤章-
ピアノ・金 詠子
5.藤田耕平・「Seasons」
ピアノ・井上郷子
打楽器・永曽重光
6.塚谷晃弘・「Oboe Soloのための巷の唄No.2」
オーボエ・原田知篤
7.伊藤隆太・「Duetto No.7 alla Yuya『熊野』
尺八・横山勝也
十七紘・萄地悌子

曲目解説  田村 進(東京音楽大学教授)

 「プレゼンテーション」も1968年以来、海外の準会員も含めて、会員の初演曲をほぼ毎年発表し、今回で第25回を迎えた。今年から安生慶氏が新しく会員に加わった。なお代表の松葉良は立軌会会員として、画壇の重鎮的な存在となって活勤しているが、プログラムの表紙の絵は、今回のコンサートのために描いたものであり、今後も毎回描くことになっている。
1.W.ルトスワフスキ:チェロ、ピアノのための“グラーヴェ”

 ヴィトルト・ルトスワフスキWitold Lutosfawski(1913~1994)は20世紀が生んだポーランドの偉大な作曲家である。1993年11月、第9回「京都貰」受賞と講演のため来日したが、昨年2月、惜しくもワルシャワで急逝した。彼の作品は、1984年と89年のプレゼンテーションで演奏されたこともあるが、本日の曲はこの不世出の巨匠を追悼するために取上げた。

 彼は今世紀ポーランドの苦難と激動の時代を生き抜き、独創的手法で新しい音楽を切拓いた。“偶然の対位法”によるユニークな音響、現代的技法を生かした和声とリズムは他の追随を許さない。彼の音楽には、自然な流れがあり、構成は端正で論理的、表現は繊細華麗でディナミック、音色は豊かで多彩であり、交響曲、協奏曲、室内楽曲など各分野で傑作を残している。

 この曲は、ポーランドの音楽学者で、ドビュッシイの研究者として世界的に知られたS.ヤロチニスキ(1912~1980)の死を悼んで、作曲された。曲は最初に、D-A-G-Aという 4つの音がチェロでゆっくりと奏される。これはドビュッシイのオペラ「ペレアスとメリザンド」の第一幕の短い前奏に現われる旋律というか、いわば動機である。これは、このオペラのなかでさまぎまに変形されて現われるが、ルトスワフスキがこの“グラーヴェ”の副題に“チェロとピアノのための変容”と記したのも、このオペラが念頭にあったのではないか、と思われる。この曲はこの4つの音の変容から成立っているが、曲中の同音の連続進行や音形も、何かこのオペラの語法を連想させる。しかし、テンポの変化によって、ゆれ動くリズムの変化には、彼独自のものがある。演奏時間約7分という小曲ではあるが、ヤロチニスキへの追悼曲として注目される傑作である。初演は1981年4月22日、ワルシャワの国立博物館で催された「ヤロテニスキ追悼のタベ」において、ヤブウォニスキのチェロ、ボルテニスカのピアノで行われた。
2.寺内園生:「Shadow(影)」

 ピアノを中野洋子と伊達純に、作曲と和声を寺内昭、川井学に学ぶ。
 寺内は1959年千葉に生まれ、高校卒業後渡独し、マリアフンク女史に作曲法を学んだ。代表作には、既出版のピアノ曲集「水の城・イリュージョン」「めざめ・静かな風」「斑鳩」のほか、子供の為のピアノ小曲集として、「メルヘンの国」「小さな夢」「遊周地・宇宙船」(音楽之友社)「動物の大行進」(音楽の友社・CDフォンテック)「ピアノでひこうグりムのお話」「同・イソップのお話」「同・アンデルセンのお話」(東京音楽社)「マザーグース」〈全音・CDフォンテック)などデリケートな感覚と想像力豊かな抒情的作品がある。
 日本作曲家協議会会員及び音楽文化協議会会員。

 作曲者はこの曲について次のようにのべている。
 「人の心には、表面に出ている部分と、意識の下にある潜在的な部分とがあります。
Shadow(影)では、表に現われない内面的な部分、影の部分ということにイメージを持って曲を書きました。」
3.安生 慶:「風の揺れる歌」-ViolinとPianoのために-

 安生は1935年東京に生まれ、成城学園より桐朋学園音楽科に進み、管楽器を専攻。卒業後、作曲を棚i頼正氏に師事。日本現代音楽協会会員。
 主要作品には「風影一二胡とオーケストラのために、ViolinとPianoのための挽歌」、「彩画-Viola とPianoのための幻想曲」、「弦楽四重奏曲」、「8 Violaのための詩曲」、「彼方からの風景-Harpのために」、「Cello とPianoのために(♯2)」、「ピアノのための譚詩曲」このほか歌曲「黄泉のくに歌」(詩・花輪莞爾)、および「洒呑童子」(詩・花輪莞爾〉 などがある。

 作曲者はこの作品について次のように述べている。
 「この曲は、二つの中心部の前後に短い所と終結部が連結したような形になっています。
 ○霧の中から何かが見えてくる序の風景。
 ○風に運ばれ、風に乗っての自由な対話とからみ。
 ○異質な世界との出合いときしみ。そしてやがて融和してゆく状態へ。
 ○ゆっくりと拡散・消去しゆく終結。形では、とらえられないもの、しかし五感のどこかに強く辺応し、近づいたり遠退いたりする「何か」に、憧れるよう
な想いをイメージのもとにおいて、心象風景を作ってみたかったのです。1990年に一応書き上げたものに、今回(一九九四年〉 若干の手直しをしてあります。」
4.山岸磨夫:ヴァイオリン、チェロ、ピアノのために“かそけき光のはざまにて”

 山岸は1933年東京で生まれ、1957年東京芸術大学作曲科を卒業した。作曲は下総皖一に学んだ。1961年の「シンフォニア」と1962年の「カプリチォとパッサカリア」は毎日コンクールの管弦楽部門で入賞している。主要作品には交声曲「夕鶴」、「ヴァイオリンとピアノのための2つの詠」、「フルートとギターのための気と律」〈昭和50年度武井貧受賞)、「弦楽四重奏曲Ⅰ」、「Ⅱ」、「ピアノトリオのための“乱”」、「ヴイオラとピアノのための変容Ⅰ」、「変容Ⅱ」のほか、合唱曲「白鳥帰行」、オペラ「温羅の砦」、「美作民謡による交響曲」、「交響曲美作Ⅱ」「管弦楽のための変容」、「二台のピアノとオーケストラのための協奏曲」などを書き上演されている。彼は日本の題材にイメージを求め、平易で伝統的な手法を用いながら現代的でユニークな味をもつ作品を書いているが「フルートとギターのための気と律」はハンガリーにおいて演奏されるなど盛んな創作活動を行っている。現在、作陽音楽大学教授。

 彼はこの曲について、次のようにのべている。
 「この曲の題名は、プレゼンテーションの会友で画家の平野充氏の絵からヒントを受けた。氏の絵は小品が多く、ステンドグラスのちりの様な不思議な気分と生命力があり、それをこの曲のイメージとしたが、描写でも印象でもないことをおことわりしておく。」
5.藤田耕平:「Seasons」

 藤田は1945年横浜で生まれ、1970年東京芸術大学作曲科を卒業した。作曲は池内友次郎と諸井誠に学んだ。主要作品には、2台のピアノのための「八百屋お七の舞台への音楽」、七奏者のための「黙示」、管弦楽のための「星の刻」などがある。
 彼は音の積重ねや淡々と流れる旋律のひびきの中に微妙な音色の変化を追求し、個性的な作品を書いている。ソプラノとピアノのための「白鳥」は1979年のヴィオッティ国際音楽コンクール作曲部門で1、2位なしの3位に入賞している。
「黙示」は1985年2月サンフランシスコでの現代音楽週間で演奏されると共に、NHK・FMより放送された。

 作曲者は今回の曲について次のように述べている。
 「この曲は、日本の四つの季節を楽章の構成原理とし、それぞれの季節の表情を表現するよう努めています。」
6.塚谷晃弘:「Oboe Soloのための巷の唄No.2」

 塚谷は1919年東京生まれ、1942年東京大学を卒業した。在学中から諸井三郎について作曲を学ぶ。戦後1949年に「新作曲派協会」に参加、、それ以来現在まで室内楽を中心に多くの作品を書いている。またその他の作品が1959年と61年に芸術祭奨励賞(団体及個人)を受けている。主要作品には「弦楽と打楽器のための組曲」、「ヴァイオリン・ソロのためのファンタジア」、「コントラバスのための三章」(1981年8月〉のほか能に基づく室内オペラなどがある。日本の伝統を生かした彼の現代的表現は海外からも注目され、2、3の作品がしばしば演奏されている。

 作曲者はこの曲について次のように述べている。
 「昨年本会で同名の唄のNo1を発表したが、この中で、いわば歌いのこした要素を今回のNo2でオーボエソロとシンバル助奏で唄いあげた。ソロも助奏もOne Playerによって行われるものである。

 巷のめざめ、行きかう人々の活気、あるいはざわめきと、複雑な結びつき、かっとうをあらわしたものだが、けっして抽象音楽でなく、心象風景とでもいうようなものであると、心えている。作曲は1964年の夏であり、かなり苦心の作になってしまったように感じるのであるが、聴く人々はどのように解釈されてもよい。」
7.伊藤隆太:「Duetto No.7 alla Yuya『熊野』」

 伊藤は1922年、広島県呉市に生まれた。東京大学医学部を卒業し、かたわら作曲を池内友次郎、諸井三郎、高田三郎に学んだ。第19回日本音楽コンクール管弦楽作曲部門で第1位ののち、等曲の分析から邦楽器の作品も書き、芸術祭、米国現代コンクールなど計12の賞を受けた。プレゼンテーションにも第18回以後、意欲的な作品を発表している。

 今回の曲について作曲者は次のようにのべている。
 「平家物語から謡曲を経由して山田検校の筝曲に至った楽式を拡大し、素材にこだわらず作曲した。流された佐渡からの帰路、応仁元(1467)遠州池田の行輿寺に立寄った世阿弥元清が住職から直接聞いた話が平家物語に加えられ、山田流の歌詞にも生きた心の物語である。本日演奏される曲は、清水寺の祈り・花見・舞いと心の揺れ・宗盛の許しと東下りの喜びに、新たに行輿寺の祈りを加えた。

 宗盛に清水寺の花見に誘われた熊野(ゆや)は「故郷の母が重病だから帰って来い」という手紙を秘めていた。今様を舞う熊野は「あら心なの村雨やな。降るは涙か桜花。散るを惜まぬ人やある」「いかにせん都の春も惜しけれど馴れしあずまの花や散るらん」と歌いこむと宗盛は心を動かして帰郷を許す。年余ならずして六波羅から都落ち、屋島・壇の浦と平家は滅亡する。宗盛は鎌倉送りの途中、池田に寄り、帰途、近江清原で斬首、京で獄門となった。

 池田の長者、藤原重徳が紀州熊野(くまの〉 権現に祈念して授ったのが熊野(ゆや)。和歌から今様に至るまで優れた才女。平家一門は重盛以来、熊野(くまの)信仰が篤かったことも、重盛の死後、頭領となった宗盛も心を動かしたのだろうか。熊野(ゆや)は行輿寺で39歳で逝った宗盛と、後に亡くなった両親の冥福を祈りつつ33歳でこの世を去った。清水寺も行輿寺も観音を祀る。山田流の原曲は中田博之・石見登見井師に教わった。」

田村 一郎